デジタル哲学で心が啓く・可能性が弾ける

どこまでもオープンな心で、平等で対等な関係性でAI時代に人間最高の機能を発揮する。

未来のミライ

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

ちょっと前の事になりますが…

未来のミライ

を観に行ってきました♪

 

http://mirai-no-mirai.jp/sp/story/index.html

 

過去から未来は繋がる、家族と命の物語。

 

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この映画を観た感想①

時を超えて受け継がれるもの。

それは、愛。

そして、意思。

 

そんな事を感じる映画でした。

 

誰かを想う心。

親が子を想う心。

子が親を想う心。

 

どんな形であっても、

愛に溢れていることを感じました。

 

この映画を観た感想②

小さなくんちゃんが、

過去に行って、

小さなお母さんと遊んでるシーンを見て、

 

過去から繋がる家族の基準が、

明確に表現されているなぁーと思いました。

 

例えば、

くんちゃんが遊んだ後のおもちゃをお片づけしなかったり、

いたずらが大好きだったり、

 

現象的にもそうだけど、

その奥にある判断基準を受け継いでいる。

 

愛されたい。

振り向いて欲しい。

 

そんなエネルギーを受け継いでいるように感じました。

 

未来は過去から?

この映画は、

過去から未来に繋がっている事を描写されているようですが、

 

時間は本当に

過去から未来に流れているのでしょうか?

 

時間という概念があるから、

過去から未来に流れているように思います^ ^

 

時間の概念は、

人間の脳が作り出したもの。

 

だから、人間の脳の仕組みが分かった時に、

未来から今を、そして過去を観ることができると思います。

 

この映画を通して、

過去から未来に、

脈々と受け継がれてきた、

家族の絆や繋がり、愛を感じることができまた。

 

その繋がりや愛を使って、

どんな未来を創れるのでしょうか?

 

愛しかない世界なら、

私たちが次に向かう方向性はどこでしょうか?

 

次に生まれてくる命が、

希望に満ち溢れる。

新しい概念を取り入れて、

どんどんチャレンジができる。

 

そんな社会を作っていきたいですね♪

私の心の2重ロックが解き放たれる。〜馬鹿にしてごめんなさい〜

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

 

行き切りたい!生き切りたい!

だけど、行き切ること・生き切ることのできない鎖に繋がれている。

心が牢屋に閉じ込められる。

 

牢屋は、2重にかけられたロックがかかられている。

 

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今まで。

 

先日、8月15日に福岡まで行ってきました。

帰省でもないのに、なぜこのタイミングで福岡?!

 

日本にとって、8月15日は戦争が終わった日です。

この日にどんな意味があるのか?

今まで聞いたことのない解析に出会いに行ってきました。

 

戦争に対する意見は、

とてもナイーブな事だと思います。

学校教育の中でも、

戦争は多くの人の命を奪ってしまった残酷な出来事であり、

2度と繰り返してはいけないこと。

という程度の事しか教えてもらった事がありません。

 

その時代を生き、

その時代に戦った人がどんな思いで、

どんな未来を思い描いていたのか?

何のために戦っていたのか?

詳しく考えた事があるようで、

ありませんでした。

 

 

一つ目のロック。

クリスチャンとして育ったことによるロック。

 

神に従うことが良いことで、

神に背くことが悪いこと。

 

国や民族・文化関係なく平和のために、

神の教えに従う。

 

だから私は特別「日本」と言う国に、

興味をもった事もありませんでした。

 

戦争は、神の教えに背く行為。

 

だから戦争の特別番組だったり、

平和特攻記念館に行っても、

「酷い話だ。」

と、思う事以外できなかった。

 

人間は罪人なのに、

さらに罪を犯してしまった。

愚かであると…。

神に従わずに生きる事を馬鹿にしていました。

 

二つ目のロック。

日本人として深いところに眠る共通のロック。

 

なぜ、戦争をしてしまったのか?

日本に勝ち目があったのだろうか?

 

人を傷つける事、

命を奪うような行為を、

積極的にしたいと思ったわけではないはず。

 

なのに、なぜ?

 

勝てていたら、

捉え方が変わっていたかもしれないけど、

負けたことによって、

心の深くに、

「なんで、あんな馬鹿な事をしたんだろう。日本は。」

と思う心が刻まれているかもしれない。

 

戦争をした先人たちに対して、

日本に対して、

無意識に馬鹿にしていました。

 

これから

平成最後の8月15日を終えて、

イメージが変わりました。

 

神に従わないこと、

戦争をしてしまったことを、

無意識に馬鹿にして、

8月15日にどんな意味があったのか?

日本がどんな国だったのか?

に興味を持つことができなかったところから、

 

大きな決断をした日として、

とても重要な意味を持つ日だとイメージが変わりました。

 

「二度と戦争はしない!」

「尊厳を守る!」

 

非人道的な、核爆弾を二つも落とされた日本。

だけど、テロを起こすこともなく、

むしろ、自分たちが悪いことをしたんだ。

という、意識が根付いていたと思います。

 

でも、何のために戦争することを選択したのか?

どんな未来を想像していたのか?

を感じたときに、

この意思を無駄にしてはいけないし、

この意思を消すことはできない。

 

私もこの日を、決断の日にしたいと思いました。

希望に溢れる未来を創るために。

 

無関心だった、日本に目を向けたとき、

私の深いところに、

大和魂が眠っている事、

侍の魂が眠っている事を感じます。

 

日本からmiracleを起こしていきたい!!

私の心の2重ロックが解き放たれた時、

もっと、日本を知りたいと思ったし、

世界を知りたいと思いました。

 

私には、宇宙の外まで子供の笑い声が響くような、

平和な未来を創る確信があります。

みんながwin-win、All-winになる関係性を築ける自信があります。

 

日本の心は負けてない!

2020年に憧れる日本を創りましょう♪

 

世界が繋がっていく、

間のポジション日本を創りましょう♪

3度目の正直。

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

8月9日は何の日?

73年前の今日、長崎に原爆が落とされた日であり、

11年前に広島市が「ハ(8)グ(9)の日」と制定したそうです。

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日本にとっての8月

 

73年前の8月。

広島と長崎…

2度も原爆が落とされました。

そして、8月15日に終戦を迎えました。

 

当時を生きた人たちは、どんな思いだったのでしょう。

生き方と死に方。

どちらを選択するにも、

とても苦しく、辛かったと思います。

 

2度も原爆を落とされて、

道を断たれてしまった日本。

 

永遠のゼロや、

日本のいちばん長い日、

男たちの大和

などの映画を観て何度も涙しました。

 

8月になると、

核兵器のない世界、

戦争のない世界、

平和を切に願います。

 

忘れる事ができないし、

忘れてはいけない事。

 

3度目の正直。

 

数年前までの私は、

漠然とは平和な世の中になることを願っていました。

だけど、戦争を身近に考えることはありませんでした。

 

学校の教育では教えてくれない日本を。

 

日本人以上に、

日本を、侍の心、大和魂を語ってくれる人に出会って、

初めて本当の日本を知りました。

 

そして、戦争の意味や、

本当の平和とは何か?を考える事ができるようになりました。

 

考え方は人それぞれ、

様々な見方ができるとは思います。

 

だけど、脈々と受け継がれる日本の精神があります。

 

日本の精神が大きく動いた、

1度目は、

アジアの近代化をしようと、

明治維新を起こした日本。

 

2度目は、

日本を他国から守るため、

アジア諸国を、アメリカ・イギリスの植民地から解放するために、

大東亜戦争の選択を迫られた日本。

 

そして3度目は、

2020年に東京オリンピックを控えている今!です。

11年前に、広島市が制定したハグの日を実現させる時です。

 

体と体が出会ってハグをするのも大事ですが、

もっと大事なことは心と心がハグをする事だと思います。

 

日本の精神。

それは、全てをAll Zero化して、

全てを心で包み込む事が出来る事だと思います。

 

全てをAll Zero化する技術があります。

本当の心を知ることが出来る技術があります。

 

核爆弾がなくなったら、平和になりますか?

戦争は終わりますか?

 

核爆弾がなくなっても、心の戦争は終わりません。

心の戦争が終わらなければ、目に見える戦争も終わりません。

 

本当の平和を創るために、

2020年の東京オリンピックに向けて、

今やるべき事をやっていきたいと思います。

 

誰かが憎い、

誰かが疎ましい、

誰かが悪いわけではありません。

 

先人たちの想いには、

創りたかった未来があります。

 

過去は変えることができないけど、

未来を創ることはできます。

 

過去は変えることはできないけど、

過去を解析し直すことはできます。

 

先人たちの想いを受け継いで、

3度目の正直!!

全てを心で抱きしめて

世界を驚かせるお祭りをしましょう♪♪

心が叫びたがってるんだ。あなたの叫びたい事は?

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

皆さんが、最近見た夢は何ですか?

 

私が最近よく見る夢は

「叫んでいる」夢です。

言葉にならない感情を、

思いっきり叫んでいたりします。

 

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何か叫びたいメッセージがある。

 

私の心が何を叫びたがっているのか?

 

そういえば、「心が叫びたがっているんだ。」っていう映画があったなー。

と思いDVDをレンタルしてきました。

 

映画「心が叫びたがってるんだ。」を観て。

「もう2度と喋っちゃダメ。」

とお母さん言われた記憶。

「君はおしゃべりだから。」

とたまごの王子に呪いをかけられた。

 

主人公の女の子、順は喋るとお腹が痛くなってしまう。

そんな彼女が、ミュージカルを通して、

彼女の心が叫びたいことを表現していくストーリーに、

感動して涙が止まりませんでした。

 

鑑賞して感じたこと。

一人ひとり感じている事は違います。

そして、自分の中にある感情も、

一つではありません。

 

色んな気持ちが渦巻く中で、

自分の気持ちを伝えたところで、

相手が同じように感じて、

相手が同じように受け取ってくれるは限りません。

 

順の場合は、

自分のお喋りのせいで、

大好きなお母さんを傷つけてしまい、

大好きなお父さんを失うことになってしまった。

 

全部自分のせいだから…

呪いをかけなければいけなかった。

そうしないと、

順は生きていけなかった。

 

そんな心の葛藤が描かれていて、

それが順だけではなくて、

同級生の「地域ふれあい交流実行委員」のメンバーそれぞれにもありました。

 

心の中に閉じ込められてしまった、

素直な気持ち。

を叫びたい!

 

誰もが経験している

自分の言葉のせいで、

誰かを傷つけてしまったり、

誰かを悲しませてしまったり

関係が悪くなってしまったり。

 

自分の感情をしまい込んで、

自分も傷つかないように、

相手も傷つけないように。

 

叫びたい気持ちを押し込んでいると思います。

 

青春の学生時代だけではありません。

社会に出て、

会社の上司や先輩・後輩に対しても、

本当は、こんなことを言いたいけど、

上手く伝わらないから諦める事はありませんか?

 

自分の言いたい事だけ言って、

周りの雰囲気を壊している人を見て、

自分はそうならないように、気をつけていませんか?

 

家族との関係の中でも、

遠慮せずに何でも話せる関係の人もいるかもしれませんが、

家族だからこそ話せないことがある人はいませんか?

 

結婚をすれば、

両家の考えが違ったり、

自分たちのやり方に口出しされて面倒になって、

ちょっと疎遠になることもありませんか?

 

子どもの頃の経験、

特に0~6歳の間に判断基準は作られます。

そこで作られた判断基準をもとに、

コミュニケーションをとっているのです。

 

いくら表現を変えたり、

行動を変えたとしても、

観点が変わらなければ、

根本は変わりません。

 

私の心が叫びたがっている事。 

それは、

「自分と自分の宇宙は実在しない!」

 という事です。

 

個人の観点(判断基準)を超えて、

人間の5感覚脳の観点(判断基準)も超えなければ、

本当の心が叫びたいことに気づけません。

 

それぞれの立場や環境で、

叫びたいことは異なるでしょう。

 

今、目の前に見える世界も、

現実社会で起きている事も、

全ては無から有、

「無い」ところから「有る」ができています。

 

目で見る世界が、

見えている状態のままで、

自分と自分の宇宙が消える事が、

無から有の仕組みが理解に繋がります。

 

その時に、叫びたくなるのが、

「人間こんなもんじゃない!!」

 

本当に、「無」の世界から、

自然も動物も人間もすべての物が、

美して涙を感じるほどの感動です!

 

そして、人間の可能性を感じる事ができます。

 

それぞれの観点を活かして

チームプレイができるも人間です。

 

心の境界線を解いて、

心が繋がった状態で、

今までにないチームプレイをしていきたい!

人類史上初の、チームプレイがしたい!

 

私と一緒に、新しいチームプレイの形をつくりませんか?( *´艸`)

根無し草の千草でした。

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

今日は、「根無し草」をテーマに、

私の名前のエピソードも交えて書きたいと思います。

 

根無し草の意味

根無し草の意味を知っていますか?

良いイメージというより、

マイナスのイメージに聞こえますが、

自由な感じもしますよね~。

 

「根無し草」の意味は。

1.地中に根を張らず、水に浮いている草。浮き草。

2.浮き草のように漂って定まらない物事や、確かなよりどころのない生活のたとえ。「行方も知らぬ根無し草の旅」

根無し草(ねなしぐさ)の意味 - goo国語辞書より引用

 

補足で「根無し」の意味も。

1.根がついていないこと。

2.よりどころがないこと。

3.鏃 (やじり) のついていない矢。根なし矢。

 

千草の意味

私の名前は、千の草と書いて「ちぐさ」です。

なぜ、この名前になったかというと、

祖父母が住む、地域会の名前が「千草会」だったから。

 

そんな単純な理由(笑)

 

だけど、意味を持たせてくれました。

 

雑草のように、

どこにでも根を張り、

たくさんの知識を吸収して育つように。

 

雑草のように、

踏みにじられても、

何でも起き上がり、強く咲くように。

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根無しのイメージとは反対に、

しっかり根を張っているイメージの名前。

 

根無し草の千草の意味

根がなくて、

根を張らずに、

ふわふわ浮いているような草のように、

好奇心旺盛で、

どこでもフラフラっと行きたくなっちゃう。

 

人の意見に左右されて、

あれも良いな。

これも良いな。

 

だけど、曲げたくない…

自分の中の軸がある。

 

自分の軸はどこに伸びているのか分からないけど、

でも何か、曲げちゃいけない気がする。

 

深いところまで根を張りたい。

けど、どうやって根を張ったら良いのか分からない。

だから、自分にとって、

根を張るのにベストな場所を、

ふわふわと彷徨いながら探し続けている。

 

何度、踏みにじられても、

チャンスが訪れるまでは、

めげずにチャレンジし続ける。

チャレンジしては、これは違う、あれは違う。

どんどん知識という装備を身にまとい身軽じゃなくなる。

 

常識や当たりまえという知識の中で、

誰かがつくった基準に従って、

親の基準に合わせて、

先生の基準に合わせて、

仲の良い友達の基準に合わせて、

会社の基準に合わせて、

自分の軸が何なのか分からなくなる

 

どこにでも根が張れるはずなのに…、

根を張ることがなく、

形だけを変化させて、

自分の見せ方だけを変化させて、

知識が増えて、

頭で考えて、

心で感じれなくなる。

 

自分の人生を生きているというは、

誰かのための人生を生きているという事でした。

 

深いところに根をおろして

私は、夫に「根無し草の千草だったんだね」と言われるまで、

親につけてもらった名前の通りに育ってきた!と思っていました。

 

たくさん知識も吸収して、

普通に生きていくには困ることはありませんでした。

それに、ネット社会になって、

知らないことはスマホやPCで知らべれば、

すぐに情報を得る事ができますから。

 

どこへ行っても馴染むことが出来ていたので、

どこにでも根を張ることが出来ると思っていました。

その場所、その場所の、

雰囲気に合わせて、人に合わせて、

関係性を創ることができていたからです。

 

でも、本当は、

自分の中に明確な軸もなければ、

根っこもありませんでした。

 

持っていた根っこと言えば、

「誰かに従う事の出来る根っこ」でした。

 

雑草の根からは「雑草」が育ちます。

バラの根からは「バラ」が育ちます。

 

私が持っていた根っこでは、

「千草」という本当の意味を、

育てる事はできません。

 

そのためには、

深いところに根をおろす必要があります。

 

誰にも従うことなく、

誰にも支配されることもない、

そして、誰も傷つける事のない

誰も無視することができない、

意思決定の仕組みを知ることです。

 

宇宙の誕生から、

人類の誕生、

歴史・文明、

宗教や科学、

全てが繋がって理解できた時、

全てがシンプルに観えます。

 

全てがシンプルになったところから、

自分の生き方を設計することができます。

 

全てが分離で始まるのか?

全てが繋がったところから始まるのか?

 

深いところに根をおろすというのは、

私がおギャーと生まれたところから始まるのではありません。

 

私がおギャーと生まれるよりも、

ずっと前から始まっています。

それは、時間のかからない、

今この瞬間にあります。

 

一人ひとりが自分のPCを持って、

生活が便利になっているように、

 

一人ひとりが持つ宇宙(観ている世界)を、

自ら設計して楽しめるようになるPU(personal universe)の時代です。

 

深いところに根をおろすためには、

PUの仕組みを知ることをお勧めします^^

本当に楽しいのか?それとも楽しいふり?part3

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

本当に楽しいのか?それとも楽しいふり?part3です!

 

今、この瞬間どうですか?

頭の中で考えて「楽しい」を選択していませんか?

 

心・魂から湧き上がる「楽しい」を感じていますか?

 

part1・2はこちらから↓

 

8henge.hatenablog.com

8henge.hatenablog.com

 

 

「本音が話せない私」で繋がる関係性

私の場合、自分の本音にも気づかず、

自分の思い込んでいる事を本音だとすり替えて、

人との繋がり・関係性を創っていました。

不安や恐怖、寂しさ、孤独を隠して、

あたかも自分にはそんなもの存在しないかのように振舞って、

楽しいことだけを考えて、

前向きな事だけを考えて、

ポジティブに過ごしていました。

そのおかげで、

たくさんの人と繋がることができ、

「一緒にいると元気がもらえる」とか、

「たくさんの人と繋がりがあるからイイねー」とか、

「いつも楽しそうだね♪」と言ってもらえる事で、

自分らしさとは、こういうものだと感じていました。

人生の中で、大きな決断をするときに、

人との繋がりは必要。

だから、たくさんの人と出会っているし、

繋がっているから大丈夫だと思っていました。

でも、実際は、

表面的な繋がりしか創れていなかったのです。

ありのままに表現することができない、

どこか取り繕って、

どこか着飾った自分で出会った人たち。

一人ひとりの事は大事に思う。

一人ひとりの出会いを大切にしている。

繋がりを絶やさないように気をつけてきたつもり。

ある日、プツっと繋がりの糸が切れてしまいました。

 

そうは、言っても他にもつながっている人は

たくさんいるから寂しくも何ともない。

でも、繋がりを創り切れない自分にもどかしさも感じていました。

 

日常に感じる「楽しい」が感じられなくなる。

私は、より多くの繋がりを創ることで、

日常の中にたくさんの「楽しい」を感じてきました。

 

楽しさを感じるための繋がり。

人と繋がるための楽しいふり。

 

ずっと繰り返していた私のループ。

 

楽しいを感じるための繋がりならば、

繋がりが切れた瞬間に「楽しい」を感じられなくなる。

 

人と繋がるための楽しいふりなら、

心から楽しんでいるわけではない。

 

私は本当に「楽しい」と思っていたわけではなく、

私が創ったた「楽しい」と思える条件の中で、

「楽しいふり」をしていただけでした。

 

本当の「楽しい」を手に入れるには。

本当の「楽しい」は、

今この瞬間に感じる事ができます。

 

一瞬の出会いだとしても、

そこに楽しさを感じる事ができます。

 

そして、会える・会えないに関係なく、

繋がりを創り続けることができます。

 

そのために必要な事は、

心を自由にすることです。

 

相手にどう思われるか気にせずに、

自分の感じている事を

ありのままに表現できる。

 

自由の心になることで、

今まで繋がってきた人とも、

もっと深い関係性を築くことができます。

 

リア充を楽しんでいるあなたも

もしかしたらあなた心は、

檻の中に閉じ込められているかもしれませんね。

 

心の作動原理を知って、

心を自由に、「楽しい」で溢れる毎日を一緒に過ごしませんか?

本当に楽しいのか?それとも楽しいふり?part2

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

あなたは今、本当に楽しいと思っていますか?

先日の続きを書きたいと思います。

8henge.hatenablog.com

 

いつもの変わらない日々の中で、ちょっと気になった質問。

楽しんでいる私。

楽しそうに見せている私。

 

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何の疑いもなく、

私は人生を楽しんでいる。

毎日を楽しんでいる。

人間関係・出会いを楽しんでいる。

 

私の中に、不安も寂しさも孤独も…

そんな言葉は存在しない。

そんなある日、

道端で一人の男の子にアンケートと称して、

「あなたに本音で話せる人は何人いますか?」

って聞かれました。


その質問を投げらた時は、

瞬時に見栄を張って「5人」って答えました。(笑)

 

本音で話してると思っていた。

ふと家に帰って考えた時に、

確かに周りには相談に乗ってくれる人、

話を聞いてくれる人はたくさんいるけど…

「本音で話すってどういうことだ?」

って、思ったのです。

Aさんに話せる話、

Bさんに話せる話、

Cさんに話せる話、

…話す内容によって、相手を変えていました。

 

特にAさんに対しては、大概の事は話していました。

でも、一部Aさんに話せないこともあったり…。

その人その人には「本音で」話していると思っていました。


いやいや、ちょっと待てよー。

1㎜も着飾る事なく、

自分のありのままを、全部丸ごと話している人はいるのだろうか?

 

自分の中に隠している不安や寂しさ・孤独。

 

私自身、見ようとしていないし、

私の中に不安や寂しさ・孤独があるわけがないと思い込んでいる。

 

そんな心まで、人にさらけ出せるはずがない。

 

人によって、話すことを分けてる時点で、

「本音」じゃないじゃーんって事に気づいたわけです!!

 

「本音」と「楽しい」の関係。

この人にこの話をしても良いけど、

この話は出来ない…。

ここまでは話せるけど、これ以上は話せない…とか。

見せられない一面があったり、

話せない一部があったり、

気づかないうちに、全部を話しているようで、

部分的な話になっています。


本音とは、ありのままに思ったことをアウトプット出来る事。

 

自分がしまい込んでしまいたい心、

マイナスに感じてしまうような感情も、

包み隠さず、余すことなく、

ありのままにアウトプット出来る事です。

 

では、「本音」と「楽しい」の関係とは?

マイナスの感情もプラスの感情も、

どちらかに囚われることなく、

ありのままに表現できる「本音」の状態の時、

本当の「楽しい」を感じる事ができます。

 

普段、感じている「楽しい」は「楽しい」けど、

本当の楽しさではない。

条件や状況が整った時に感じれる楽しさ、

自分の中のイメージで創った楽しさです。

極端な言い方をすれば「楽しいフリ」を楽しんでいると思います。

 

本音が出せない関係性の中で、

本当に楽しいと感じる事ができますか?

どこかで、我慢していたりしませんか?

どこかで、こんなもんだろうと思っていたりしませんか?

もっと、楽しいことを探すために、

もっと、楽しいと感じるために、

更にポジティブを強化させて、

本音を置いてきぼりにしていませんか?

 

続く。