デジタル哲学で心が啓く・可能性が弾ける

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本当に楽しいのか?それとも楽しいふり?part2

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

あなたは今、本当に楽しいと思っていますか?

先日の続きを書きたいと思います。

8henge.hatenablog.com

 

いつもの変わらない日々の中で、ちょっと気になった質問。

楽しんでいる私。

楽しそうに見せている私。

 

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何の疑いもなく、

私は人生を楽しんでいる。

毎日を楽しんでいる。

人間関係・出会いを楽しんでいる。

 

私の中に、不安も寂しさも孤独も…

そんな言葉は存在しない。

そんなある日、

道端で一人の男の子にアンケートと称して、

「あなたに本音で話せる人は何人いますか?」

って聞かれました。


その質問を投げらた時は、

瞬時に見栄を張って「5人」って答えました。(笑)

 

本音で話してると思っていた。

ふと家に帰って考えた時に、

確かに周りには相談に乗ってくれる人、

話を聞いてくれる人はたくさんいるけど…

「本音で話すってどういうことだ?」

って、思ったのです。

Aさんに話せる話、

Bさんに話せる話、

Cさんに話せる話、

…話す内容によって、相手を変えていました。

 

特にAさんに対しては、大概の事は話していました。

でも、一部Aさんに話せないこともあったり…。

その人その人には「本音で」話していると思っていました。


いやいや、ちょっと待てよー。

1㎜も着飾る事なく、

自分のありのままを、全部丸ごと話している人はいるのだろうか?

 

自分の中に隠している不安や寂しさ・孤独。

 

私自身、見ようとしていないし、

私の中に不安や寂しさ・孤独があるわけがないと思い込んでいる。

 

そんな心まで、人にさらけ出せるはずがない。

 

人によって、話すことを分けてる時点で、

「本音」じゃないじゃーんって事に気づいたわけです!!

 

「本音」と「楽しい」の関係。

この人にこの話をしても良いけど、

この話は出来ない…。

ここまでは話せるけど、これ以上は話せない…とか。

見せられない一面があったり、

話せない一部があったり、

気づかないうちに、全部を話しているようで、

部分的な話になっています。


本音とは、ありのままに思ったことをアウトプット出来る事。

 

自分がしまい込んでしまいたい心、

マイナスに感じてしまうような感情も、

包み隠さず、余すことなく、

ありのままにアウトプット出来る事です。

 

では、「本音」と「楽しい」の関係とは?

マイナスの感情もプラスの感情も、

どちらかに囚われることなく、

ありのままに表現できる「本音」の状態の時、

本当の「楽しい」を感じる事ができます。

 

普段、感じている「楽しい」は「楽しい」けど、

本当の楽しさではない。

条件や状況が整った時に感じれる楽しさ、

自分の中のイメージで創った楽しさです。

極端な言い方をすれば「楽しいフリ」を楽しんでいると思います。

 

本音が出せない関係性の中で、

本当に楽しいと感じる事ができますか?

どこかで、我慢していたりしませんか?

どこかで、こんなもんだろうと思っていたりしませんか?

もっと、楽しいことを探すために、

もっと、楽しいと感じるために、

更にポジティブを強化させて、

本音を置いてきぼりにしていませんか?

 

続く。