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本当に楽しいのか?それとも楽しいふり?part1

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

自分が本当に楽しいと思っているのか?

それとも楽しいふりをしているのか?

自分で疑ってしまう事ありませんか?

 

私は、本当に楽しい!!と思っていると、思っていました。

(ややこし表現ですが…笑)

 

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先日、友人と電話する中で、

思い出したことなんですが

 

私は、恐怖や寂しい・辛い・苦しいの感情を見たくないあまり、

楽しいことを考えるようにしていました。

 

マイナスの感情に刻まれた記憶

マイナスの感情を感じると、

気持ちが重くなるし、

特に恐怖の感情を感じると、

心が委縮してしまって、

身動きが取れなくなる感覚があったことを思いだしました。

 

心が委縮して、身動きが取れなくなると、

人に迷惑をかけてしまうイメージだったり、

人にいい影響を与えないイメージがあったり、

自分が出来ないヤツだと思われて、

所属しているところから排除されるんじゃないかという、

不安に駆られてしまう悪循環を避けるため、

楽しいことを探して、

楽しんでいる自分を選択し続けていました。

 

私にとっての楽しいとは

特別な事ではありません。

日常の中でひとりでいる時間を減らして、

寂しさを感じないようにさせて、

たくさんの友達や知り合いがいるという安心感を感じて、

出会いを楽しいんでいました。

 

怒るような人とは関わらないようにして、

もし怒りやすい人がいたとしたら、

怒らせないようにして、

なんだか穏便に、平和に過ごせているように感じるだけで、

私は楽しい日々を送っていると思っていました。

 

怒られる事も、

怒ることのない。

恐怖を感じる事も、

寂しさを感じる事もない。

そんな日常が私にとっての「楽しい」でした。

 

本当に楽しいのか?

色んな人と出会って楽しいし、

喧嘩する事もなく、

人間関係も穏便に過ごすことが出来るから、

寂しさも、不安も、恐怖も感じずに「楽しい」と思っていました。

 

だけど、ひとり暮らしをしていた時は、

家に帰ったら一人になる。

そうすると、知らない間に寂しさを感じていたんでしょうね。

 

だから、家は寝るだけの場所。

 

とにかく寝るとき以外は、

人と会って、人と連絡をとっている。

そんな日々を送っていました。

 

そんな日々に全く問題も感じていませんでした。

 

でも、元気がない自分は人に見せたくない。

友達が少ない人と思われたくない。

前向きな人、向上心のある人と思われていたい。

 

そんな思いがあったから、

理想の自分、周りに見せたい自分のイメージを創るために、

頑張っていただけでした。

 

本当は、弱音を吐きたいときもあるし、

悩んでていてどうしようもない時もある。

そんな私を見せてしまったら、

今まで築いてきた関係性が壊れるかもしれない不安。

 

人と一緒にいて楽しい。

だけど、周りに人がいなくなる不安。

弱音を見せれない自分から、

自分で解決するしかない。

 

私の全てを見せている人なんて、

誰一人いませんでした。

 

不安や寂しさを隠して、

楽しいふりをしていたのも事実です。

 

 

 続く。