デジタル哲学で心が啓く・可能性が弾ける

どこまでもオープンな心で、平等で対等な関係性でAI時代に人間最高の機能を発揮する。

本当に楽しいのか?それとも楽しいふり?part1

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

自分が本当に楽しいと思っているのか?

それとも楽しいふりをしているのか?

自分で疑ってしまう事ありませんか?

 

私は、本当に楽しい!!と思っていると、思っていました。

(ややこし表現ですが…笑)

 

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先日、友人と電話する中で、

思い出したことなんですが

 

私は、恐怖や寂しい・辛い・苦しいの感情を見たくないあまり、

楽しいことを考えるようにしていました。

 

マイナスの感情に刻まれた記憶

マイナスの感情を感じると、

気持ちが重くなるし、

特に恐怖の感情を感じると、

心が委縮してしまって、

身動きが取れなくなる感覚があったことを思いだしました。

 

心が委縮して、身動きが取れなくなると、

人に迷惑をかけてしまうイメージだったり、

人にいい影響を与えないイメージがあったり、

自分が出来ないヤツだと思われて、

所属しているところから排除されるんじゃないかという、

不安に駆られてしまう悪循環を避けるため、

楽しいことを探して、

楽しんでいる自分を選択し続けていました。

 

私にとっての楽しいとは

特別な事ではありません。

日常の中でひとりでいる時間を減らして、

寂しさを感じないようにさせて、

たくさんの友達や知り合いがいるという安心感を感じて、

出会いを楽しいんでいました。

 

怒るような人とは関わらないようにして、

もし怒りやすい人がいたとしたら、

怒らせないようにして、

なんだか穏便に、平和に過ごせているように感じるだけで、

私は楽しい日々を送っていると思っていました。

 

怒られる事も、

怒ることのない。

恐怖を感じる事も、

寂しさを感じる事もない。

そんな日常が私にとっての「楽しい」でした。

 

本当に楽しいのか?

色んな人と出会って楽しいし、

喧嘩する事もなく、

人間関係も穏便に過ごすことが出来るから、

寂しさも、不安も、恐怖も感じずに「楽しい」と思っていました。

 

だけど、ひとり暮らしをしていた時は、

家に帰ったら一人になる。

そうすると、知らない間に寂しさを感じていたんでしょうね。

 

だから、家は寝るだけの場所。

 

とにかく寝るとき以外は、

人と会って、人と連絡をとっている。

そんな日々を送っていました。

 

そんな日々に全く問題も感じていませんでした。

 

でも、元気がない自分は人に見せたくない。

友達が少ない人と思われたくない。

前向きな人、向上心のある人と思われていたい。

 

そんな思いがあったから、

理想の自分、周りに見せたい自分のイメージを創るために、

頑張っていただけでした。

 

本当は、弱音を吐きたいときもあるし、

悩んでていてどうしようもない時もある。

そんな私を見せてしまったら、

今まで築いてきた関係性が壊れるかもしれない不安。

 

人と一緒にいて楽しい。

だけど、周りに人がいなくなる不安。

弱音を見せれない自分から、

自分で解決するしかない。

 

私の全てを見せている人なんて、

誰一人いませんでした。

 

不安や寂しさを隠して、

楽しいふりをしていたのも事実です。

 

 

 続く。

焦る心の対処法。

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問頂きありがとうございます。

 

自分が発した一言で、目の前の人の表情や声のトーンが変わって焦った事はないでしょうか?

 

今日は、「焦る心の対処法」について書きたいと思います。

 

相手の反応が気になる

私は子供の頃、よく母から怒られることがありました。

そして、怒られた時にどう反応して良いか分からなくなっていました。

怒られたら、謝る。

だけど謝ってるだけじゃ、また怒られる。

怒られる事が怖くて、

怒られそうだなぁー。とか、

不快な気持ちにさせてしまったかなぁー。と、

思うと、自分がどうすれば良いのか分からなくて焦っていました。

 

自分の発した一言、

自分の取った態度で、

相手が不機嫌になったり、

相手が悲しそうな表情をしたり、

マイナスに働いているような反応をみて、

自分が悪い事をしてしまった…と、

焦った経験あるのではないでしょうか?

 

無意識に繰り返す

自分が悪い事をしてしまったと思えば思うほど、

自己否定をしてしまいます。

 

私なんか…価値がない人間だ。

私なんか…最低な人間だ。

私なんか…。

 

逆に、相手が喜んでくれたら、

褒めてくれる時は、

自分の事を認めてもらえた感じがして、

自分の事を受け入れてもらえた感じがして、

安心します。

 

 

不安を感じたり、安心を感じたり、

自分の考えや感情は、

相手の反応や条件・状況によって変わってしまいます。

 

これは、無意識に繰り返しています。

 

対処法

まず、観点について知る事です。

観点とは、それぞれが持っている判断基準・価値観の事です。

 

観点(判断基準)には、どんな特徴があるのかお伝えしますね。

1.観点はみんなもっている。

2.観点はみんなバラバラ、違う。

3.バラバラの観点を一つにしたら、ロボットになってしまう。

4.観点は完全ではない。

5.無意識で自分の観点は完全だとおもっている。

 

まず自分にも、相手にも観点があることを覚えていてください。

そして、観点の5つの特徴も覚えておいてください。

 

焦る心が出る前に思い出せたら、ベストですね♬

焦る心が出た後でも、思い出してください♬

心に少し余裕ができて、次の行動をどうすれば良いか?考える事が出来ると思います。

 

相手を不機嫌にさせてしまう、

自分のコミュニケーションパターンがあるのなら、

そのパターンを明確にして掴み、

そして手放す練習をする事をおススメします。

 

相手が不機嫌になっているかどうか、

事実とは関係なく、

「不機嫌にさせてしまった。。。」と

思い込んでしまうパターンがあるなら、

相手に「今どう思っているのか?」を確認してみてください。

 

 

 

どちらにしても、

焦る心が生まれるための、

あなたの観点(判断基準)があります。

 

その観点を一緒に探しませんか?

ボランチのような生き方

Ma-Pa代表のちぐさです。

 

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

今日は「生き方」をテーマに書きたいと思います。

 

サッカーのことは詳しくないのですが、

先日、サッカーが好きな友人が

「サッカーのポジションで言うなら、ボランチのような生き方がしたいなー。」

って言っていました。

 

ボランチとは何かと一言で言ってしまえば、バランスを取る舵取り役という意味だそうです。

http://www.how-to-volante.com/entry1.htmlより引用

 

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ボランチのような生き方とは?

友人は、守りも攻めもできて、

自分の人生を楽しみたい。

そんな生き方かしたいのだそうです。

 

相手の攻撃をカットするだけの

守りでは人生はつまらないし、

シュートだけを打つ攻めの人生もつまらない。

 

だから、うまい具合に、

守りも攻めもできるバランスを取りながら

自分の人生をゲームのように楽しめる。

そんな生き方ができたら良いですよね♪

 

守りと攻めもやりたいけど中途半端。

人生において、守りと攻めの難しさを感じる事があるでしょう。

友人が

「攻めも守りもやりたいんだけど、結局どっちも中途半端になるんだよね。」

と、言っていました。

 

確かにー!!!

私も激しく同感!!!

昔の私は、全てに全力投球してるのに、

なんだか…中途半端…でした。

 

サッカーというゲーム中であれば、

コートの中で自分がどの位置に立っていて、

チームメイトがどこにいるか確認することができます。

 

ゴールに向かってシュートを決めるという

ゲームである事が明確で、

ルールも分かっているため、

何をするべきか判断する事が可能です。

 

だけど、生き方となると、

自分がどこに向かって生きているのか、

明確に分かっている人は少ないと思います。

 

自分がなぜ生まれたのか?分からず、

自分が何のために生きているのか?分からずに、

答えを探すことが人生だと思って生きていても、

ゴールが明確ではなく、

生き方のルールも分かりません。

 

だから守る事がどう言うことで、

攻める事がどういう事か分からずに、

今、目の間にやってきている課題や問題に取り組んだり、

たまたま出会った何かによって、

自分の生きる意味を見つけて取り組んでみる。

 

でも、やっている事が繋がっているようで、

繋がっていないから、

今は守るべき時なのか?

攻めるべき時なのか?の判断をすることが難しいのです。

 

生き方の軸が明確ではないので、

何をしてても中途半端になってしまうのです。

 

中途半端からの脱出計画 

何をしてても中途半端に感じてしまう友人は、

いつも、どうやったら中途半端じゃなくなるか考えています。

 

何か一つのことに集中してみたり、

色んなコミュニティに顔を出してみたり、

自分にとって最適な環境を探して、

自分の魅力を探して、

自分らしさを探して、

自分の個性を活かす方法を探して、

とにかく、探し続けています。

 

誰かの意見に合わせて、

誰かの意見に従うだけの守りでもうまくいかない。

(本当にやりたいことじゃなくても、やらなきゃいけなからやってるとかつまらないし)

自分の意見を押し通して、

自分のやりたい事だけをする攻めでもうまくいかない。

(自分の意見だけ押し通していたら、周りとの関係性悪くなったりするし)

 

とにかく集中して「やり切った」と思えるように頑張る。

一生懸命頑張っているんだけど、

結局、何をやったら良いのか軸が定まらないまま、

新しいことにチャレンジしては諦めて、

また新しいことにチャレンジしては諦めての繰り返してします。

 

中途半端からの脱出計画を試みるも失敗。

中途半端になってしまうのは明確な原因が分からないまま、

生き方の軸が定まらないからです。

 

ボランチのような生き方をするためには

人生というゲームの舵をとるためには、

「生きるとは何か?」

「人生とは何か?」

まず、ゲームのルールとゴールを知ることが必要です。

 

自分が立っている現在地がどこで、

これからどこに向かおうとしているのか分からないまま、

次に進むことはできません。

 

闇雲に、チャレンジしたところで、

前に進めたのか、

後退したのか、

も、判断することが難しいと思います。

 

人生というゲームを俯瞰してみれたとき、

自分の現在地を明確に診断することができて、

次の方向性を決める事ができます。

そして、それまでの経験や知識が活かされる事、

自分が少しずつ少しずつでも、

前に進んでいたことを自覚することができます。

 

守ることが次に進む一手であり、

攻める事がそれまでの変化を超えていく大きな勝負になると思います。

 

生きるとは何か?

人生とは何か?

という答えは死ぬときにしか分からないのだろうと、

私は思っていましたが、

今は、nTech(認識テクノロジー)によって、

答えを明確に分かった状態から、

人生ゲームをスタートすることができるようになりました。

 

守りも攻めもバランスを取りながら、

自分の人生という枠を超えた、

時代の変化を創る大舞台で一緒にゲームを楽しみませんか?

 

ボランチのような生き方について、

いろんな方と語り合いたいので、

ぜひ、興味を持っていただけた方はお友達になっていただけると嬉しいです♪

リーダーの悩み

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問いただきありがとうございます。

 

先日、管理職をされている30代男性から悩み相談を受けました。

今日は、リーダーの悩みについて書きたいと思います。

 

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彼は、年上も年下も幅広い年齢の方とプロジェクトを組んでいるそうで、

特に年上の方への仕事の振り方・コミュニケーションについてで悩んでいました。

 

同年代の人たちとは、特に問題はないそうなのですが、

なぜか、年上の方が相手で立て続けに4人も同じような反応があったとか。。

 

いくつかの仕事がある中で、

彼が年上の方に仕事をお願いする時に

「どれかお願いしたいのですが、どれができますか?」

と聞くと、一番難しい案件を選択されたそうで

彼は、本人の意思を尊重し、

選択された仕事を任せる事に。

 

仕事の期限も事前に伝えている状態で、

期限の2週間前に

「大丈夫そうですか?」

って進捗状況を確認したところ、

「まだ取り掛かっていないけど、大丈夫です。」

と返答があったため、彼は任せていました。

 

そして、いよいよ期限の前日。

彼は、

「明日が、期限ですが大丈夫そうですか?」

と尋ねると、

「全くできていないので、今からでは無理です。」

と返答がありました。

 

結局、彼自身が1日で仕上げる事に。

 

彼の悩みは、このやり取り・同じような現象が4人続いたという事。

そして、結果的に4人とも職場を離れる事になったという事。

相手が悪いのか?自分が悪いのか?

 

最初は、相手のせいにしていたけど、

4人も続くと自分に原因があるのではないか?と思ったそうで、

私に相談してくれました。

 

相手が悪いのでしょうか?

彼が悪いのでしょうか?

 

世代の違う人が、一緒に仕事をする中で、

コミュニケーションの世代格差があるかもしれません。

 

先輩方には先輩方のプライドがあり、

彼には彼のプライドがあります。

 

彼は、決して相手を見下したり、馬鹿にしたような表現はしていないと思います。

 

だけど、相手はどう受け取っているかわかりません。

 

もし、言いたいことがあっても、

立場によっては、言えないこともあり、

彼に合わせて「はい」と答える事しかできないかもしれません。

 

人それぞれ、言葉に対するイメージは違います。

「期日に間に合わせる」

という言葉を取っても、

「ギリギリでも間に合えば良い。」と思う人もいれば、

「余裕を持って終わらせた方が良い。」と思う人もいるかもしれません。

 

言葉に対するイメージは、

どんな経験・体験をしたかで変わってきます。

 

そして、

「ギリギリでも間に会えば良い。」と思っている人の中でも、

・追い込まれて達成できる人。

・追い込まれて頑張るけど諦めてしまう人。

 

・・・・・・

 

「余裕を持って終わらせた方が良い。」と思っている人も、

・コンスタントに進める人。

・出来る事を一気に終わらせてしまう人。

・余裕を持って始めたはずなのにバタバタしてしまう人。

 

・・・・・・

 

色んなパターンの人がいるでしょう。

 

どんな言葉を投げるか、

どんなやり方で仕事を振るか、

方法を考えればいくらでも出てくると思いますが

 

まず大事な事は、

自分が日々どんなコミュニケーションパターンを使っているのか、

自分がどの観点(判断基準)で話しているのかを、

明確に理解する事が必要です。

 

そして、相手がどんな観点(判断基準)を持っているのか、

知ることもコミュケーションを潤滑にするためにも必要です。

 

日々の中で、自分が伝えたい事と、

相手が受け取っている事がどれだけ一致しているか確認してみてください。

 

仕事が出来る人ほど、

全体を見て判断することが当たりまえかもしれません。

スケジュールの管理、タスク管理、マネージメントが得意かもしれません。

 

自分の中で当たりまえになっている事が、

相手の中には、ただ単にイメージがないだけかもしれませんよ^^

喧嘩と本音の関係。~my story⑨~

Ma-Pa代表のちぐさです。

 

本日も、訪問いただきありがとうございます。

丸裸に語る「まっぱシリーズ」で、

前回は喧嘩が出来ないことの悩みを書かせてもらいました。

 

8henge.hatenablog.com

 

私にとって、喧嘩が出来ないこと=本音で話せないことであり、

相手に合わせた反応をしてしまう習慣の現れでした。

 

喧嘩をしてしまう事で、

相手の怒りを買ってしまう。

私にとって、怒られるという事は恐怖でした。

 

怒られるという現象を避けるためにも、

喧嘩を避ける必要がありました。

 

 

怒られる恐怖。

子どもの頃は、母との約束を守らなければ、

良く怒られていました。

 

私の家では、

集会中(宗教の集まりの事)に居眠りをすると、

太ももをつねられたり、

それが何度も続くと、

家に帰ってからベルトで鞭をされる。

集会中に積極的に手を挙げて、

質疑応答に参加しなかれば注意される。

あまり気が乗らなくて反抗的な態度をとると、

家に帰ってからベルトで鞭をされる。

 

まだ小学校低学年の私にとって、

居眠りもせずに、静かに座って、

大人の話を2時間も聞くなんて難儀な事。

 

私なりの言い分があっても、

聞き入れてもらうことはできませんでした。

(当時の私の認識による見解です。)

 

怒られたことに対して、自分の気持ちを伝えたら、さらに逆に怒られる。

 

怒られる怖さから、

自分の感じている事をありのままに表現することはできなくなりました。

 

弟との喧嘩。

小学4年生くらいで2歳下の弟とよく喧嘩をしていました。

とっても激しい喧嘩をしていました。

私は、言葉で喧嘩をするタイプ。

弟は、言葉も体も使って喧嘩をするタイプ。

 

何が理由で喧嘩していたかは覚えていませんが、

喧嘩が始まると弟の方が強く、

私は怖くて逃げ回っていました。

 

口も達者だし、

癇癪を起しやすいタイプだった弟は、

叩いてくるは、

蹴ってくるは、

足を踏みつけてくるは、

はさみとか本とか投げつけてくるは…。

 

怖くて怖くて、仕方ありませんでした。

 

そんな喧嘩が母に見つかると、

私も弟も同じように怒られます。

どちらかだけが悪いというわけではなく、

どちらも悪いという事で怒られます。

 

喧嘩で恐怖を感じた私は、

母からのお叱りでさらに恐怖を感じていました。

 

彼氏との喧嘩。

高校3年生の時に、

バイト先で知り合った一個下の彼と付き合い始めました。

 

彼は、私の事を大事にしてくれているのか、

まめに連絡をくれました。

だけど、少しでも返信が遅いと、

よく怒られていました。

「返信遅れるなら、先に言えって言っただろう!」的な事を言われることが多々。

 

そんな彼とも、高校卒業と同時に遠距離恋愛になりました。

私は、専門学校。

彼は、高校3年生。

ライフスタイルも若干異なり、

連絡が取れるタイミングがずれる事も。

 

ほぼ毎日のように電話をしていましたが、

電話をする度に喧嘩というか…怒られる。

 

「何か言うことないの?!」

って言われるも、何を言っても火に油を注ぐ状態。

 

怒っている人に、

自分の思っている事を伝えるなんて無理。

 

怒っていないときに、

自分の思っている事を伝えたとしても、

怒らせてしまう危険性「大」!!

 

必要以上のことは言わない方がいい。

相手の反応をみて、どんな反応を返すか考える。

 

私は、ただ仲良くしていたいだけのに、

いつも怒らせてしまうことにビクビクしていました。

 

喧嘩をすることは怖い。

喧嘩をしたいと言われても、

私には怖い、恐怖のイメージしかありません。

 

いつ相手を怒らせてしまうか分からない。

怒られた時の気持ちをどう処理して良いか分からない。

相手との関係性が壊れてしまうかもしれない不安。

 

喧嘩をせずに、いかに穏やかに過ごせるか。が私にとって重要でした。

 

喧嘩は本音の関係。

喧嘩ができれば、本音が出せているのでしょうか?

喧嘩ができなければ、本音が出せていないのでしょうか?

 

私は、昔付き合っていた彼氏に、

「もっとお互いを知るために喧嘩したいんだ。」

と言われました。

 

喧嘩をすることで、お互いの知らない面を知ることができて、

仲が深まり、愛が深まるでしょう。

 

でも、それが本音を出している事とは、

関係ないと思います。

 

なぜなら、本音とは本人も気づいていないことも多いから。

自分の喋る言葉に、

どんな感情が込められていて、

どんなイメージがあって、

どんなエネルギーがあるのか?

それは、どんなアイデンティティで話しているのか?

理解できているでしょうか?

 

言葉も、感情も、行動も、

条件が変われば変化します。

 

例えば、愛してるよ♡という言葉をいわれて

嬉しかった気持ちが、

時が経ち、相手がむかつく存在になれば、

嬉しい気持ちなんてなくなるでしょう。

 

自分がどんなアイデンティティなのか?を知ることは、

本音とも繋がります。

 

喧嘩をすることにビクビクしている状態では、

喧嘩をしたところで本音は出てきません。

 

喧嘩を避ける関係のままで、本音を出そうとしても、

怒られる不安・恐怖があるので本音は出てきません。

 

自分のアイデンティティが変わらないと、

本当の意味で、本音を出すことが出来ないという事を知りました。

アイデンティティが変化する事で、

喧嘩も出会いの一つとして楽しむことができます。

 

喧嘩をしても、しなくても本音で語り合える関係性を創りましょう♪

 

喧嘩が出来ないことの悩み。~my story⑧~

Ma-Pa代表のちぐさです。

 

本日も、訪問いただきありがとうございます。

丸裸に語るまっぱシリーズで、

前回は大っ嫌い!!!と叫びたいけど、

叫べない私のストーリーを書かせてもらいました。

8henge.hatenablog.com

 

私が感じたくない感情、

特に「大嫌い」を感じなくてよい環境へ引っ越し、

楽しく毎日を過ごしていたのですが、

喧嘩が出来ないこと悩みが生まれました。

 

喧嘩が出来ない。

20歳の時に、付き合っていた彼に

「俺はちぐさと喧嘩したいんだけど!」

って言われたことがありました。

 

私にとって、喧嘩とはイメージの良いものではなく、

自分も相手も傷つけるものだと思っていました。

喧嘩をしたいって言われても、

どう喧嘩したら良いかも分からず。

 

そもそも、喧嘩が出来ない原因は、

・相手にどう思わるか?が気になる。

・自分の本音が分からない。

この2つに集約されていました。

 

相手にどう思われるか?

相手が好きな人、大事な人であればあるほど、

その人にどう思われるか?を気にしてしまうことはありませんか?

 

例えば、

子ども頃なら、親にどう思われるか?

いい子と思われるのか。

悪い子と思われるのか。

いい子と思われれば可愛がってもらえて、愛してもらえて、必要とされる。

悪い子と思われれば愛してもらえず、迷惑な存在と思われるかもしれない。

自分の存在を認めてもらえるか、認めてもらえないか。

そんな不安はありませんでしたか?

 

私は、心の深いところに不安を鎮めていました。

 

好きな人、彼氏ができれば、

その相手にとって、

好きになってもらえる存在なのか?

相手にとって、自分を必要としてもらえるのか?

ポロっと言ってしまった一言で、

相手を怒らせてしまって仲が悪くなってしまったり、

嫌われてしまうことを恐れてしまう。

 

自分の思っている事を伝える事で、

相手を嫌な気持にさせてしまうかもしれない。

そうなれば、自分も嫌な気持になってしまう。

 

だから、相手の様子を見ながら、

自分の気持ちを伝えていました。

 

自分の本音が分からない。

相手に合わせたコミュニケーションばかり、

練習していると、

自分の本音が分からなくなってきます。

 

今、私は何を感じているのだろうか?

今、私は何を思っているのだろうか?

 

自分の心の中にある声が聞こえたとしても、

一瞬で相手の基準に合わせる変換機能が働いて、

本当に感じていたこと、思っていたことを忘れて、

相手に求められる答えを出そうとしてしまうことはありませんか?

 

相手の気持ちや、

相手との関係性を考えるあまり、

自分の心の声を出さないことが当たり前になって、

自分の本音が分からなくなっていました。

 

だから、「喧嘩したい!」って言っても、

喧嘩するイメージが持てません。

 

彼は、私と本気でぶつかり合いたかったようで、

そうする事で生まれる絆の深さを求めいる事も知っていました。

 

本気でぶつかり合えた方が、

絆が深まるかもしれない。

だけど、元には戻れなくなるかもしれない不安。

 

私にとって、せっかく仲良くなれた人、

大切な人が遠くに行ってしまうことの方が寂しいことでした。

 

だから、喧嘩をすることは私にとって大きな賭け。

 

本音でぶつかり合って、

お互いが切磋琢磨していける仲でありたいと思っているのに、

それが出来ないことのもどかしさ。

 

喧嘩が出来なくても、

幸せでいる事はできる。

 

喧嘩しない方が、幸せだ。

 

本当に、そうなのだろうか?

 

喧嘩が出来た方が、

仲が深まり、幸せになれる。

 

喧嘩した方が、幸せだ。

 

本当に、そうなのだろうか?

 

どちらの考えもあります。

自分と全く同じ考え方、価値観、判断基準の人はいません。

喧嘩をしても、しなくても、

本音で交流出来る事。

 

深い出会い、深い繋がりを創るために必要な事です。

 

当時のわたしは、

喧嘩をしたくありませんでした。

本音で話すことがどういうことかも分かりませんでした。

 

本音で話すと言事は、

自分を深く知ることにもなり、

相手を深く知ることにもなります。

 

一つ一つの言葉に、自分がどんなイメージを持っていて、

どんな感情が働いた結果の考え、言葉、行動なのか?

を理解する事は、本音で語り合うためには必要な事です。

 

まずは、自分自身にどんな観点(判断基準・価値観)があるのかを知ること。

そして、人間共通の観点(判断基準・価値観)を知ることから始めてみてください。

 

本音の交流がこんなにも、美しく、感動的で、

違う考え方の人とも融合が可能なのかを実感できると思います。

 

喧嘩が出来ないことが悩みだった私は、

自分を知り、相手を知り、

喧嘩を出会い、変化の道具として楽しめるようになりました。

 

人に合わせて、我慢して、

自分の気持ちを誤魔化して、

自分の心の声に気づけなくて、いつの間に苦しくなる。

そんなコミュケーションを卒業して、

一緒に新しいコミュニケーションの道を創る仲間を募集中です♪ 

大っ嫌い!!!と叫びたい。~my story⑦~

Ma-Pa代表のちぐさです。

 

本日も、訪問いただきありがとうございます。

丸裸に語るまっぱシリーズ!

今日は、見たくない感情から逃げるように、

地元を離れたエピソードを書きたいと思います。

 

人生で一番の地獄

父が他界してから、

高校を卒業するまでの数カ月間は、

私にとっての地獄でした。

 

高校2年までは、父・母・弟の家族4人で生活していたのですが、

冷戦状態の父と母の関係性、

家の中の何とも言えない張り詰めた空気感に、

嫌気がさしていて、

窮屈観を感じていました。

 

それでも、父がいてくれることで、

わたしが安心して話せる場所がありました。

 

高校3年になると、

弟は地元から少し離れた高校へ進学したため、

寮生活を送ることに。

 

ここから、父と母と3人での生活が始まりました。

3人の生活が始まって2カ月半が過ぎたくらいの時に、

父が突然帰らぬ人となってしまったため、

母と2人の生活が始まりました。

 

この時が私にとって、とても地獄でした。

 

大っ嫌い

なぜ地獄だったかと言うと、

大嫌いな母との2人きりの生活を送らなければならなかったからです。

 

母は愛情を持って私の事を育ててくれていたので、

最初から大嫌いだったわけではありません。

 

父との冷戦状態や、

時にヒステリック気味に起こる姿。

いつも忙しい母の気持ちを読み取って動くことの難しさ。

いろんな思いを蓄積している中で、

「大嫌い!!」って思う、ショックな事件が起こりました。

 

それは、父の葬儀が終わり、

喪が明けて、初めて登校した日の事。

友人から

「ちーはお父さんっ子だったから、すごく心配だったんだー。」

って言われたことが嬉しくて、

家に帰ってから、母に報告したのです。

私は、母に「お友達はわかってくれるんだね~。」って言って欲しかった。

 

だけど、帰ってきた言葉は、

「何で!お父さんっ子なの?!あなたは、私の子でしょ!!」

って怒らたんです。

 

えー!!!!

なぜ、お父さんっ子で怒られる?!

私には理解できませんでした。

 

それに付け加えて、

母と2人でいる時は「なんでお父さんばっかり楽な思いをして!」って

口癖のように聞かされていたのです。

 

母が辛くて、大変な状況もわかるけど、

そこまで言わなくも良いのに…。

 

少なくとも私にとっては、

父も母も大切な存在であり、

どちらかを選ぶことはできませんでした。

 

だけど、私にとって大事な父のことを、

悪く言われる日々に嫌気がさし、

母のことが「大っ嫌い!!」になっていました。

 

地元を離れる事で我慢から解放。

大っ嫌いって言いたいけど、

面と向かって言ってしまったら、

母を傷つけてしまうかもしれない。

 

大っ嫌いって言いたいけど、

面と向かって言ってしまったら、

母が大激怒するかもしれない。

 

だから、私は面と向かって言えずにいました。

 

大っ嫌いな気持を隠しながら、

毎日毎日、母との2人暮らし。

 

大っ嫌い!

むかつく!

ウザい!

なんで、お母さんじゃなくてお父さんが死んだのだろう…。

 

私は、高校2年の時から、

地元を離れる事を決心していたので、

その気持ちが強くなるばかり。

 

高校3年と言えば、

進路を決めなければいけない時期です。

私は、地元を離れて、

福岡の専門学校へ行くことを決め、

三者面談も放棄しました。

 

早い段階で、福岡の専門学校への入学は確定し、

卒業までは我慢の日々。

 

大っ嫌いな母とも、

ある程度の距離があれば、

何とかなるだろうと思っていたからです。

 

私にとって「大っ嫌い」という感情は、

観たくない感情でした。

自分にとっても、相手にとっても、

心地の良いものではないと感じていたからです。

 

自分の心も傷つくし、

相手の心も傷つけてしまう。

 

マイナスな言葉は、

人にいい影響を与えないから。

 

そんな、イメージが私に沁みついていたので、

 

観たくない感情を見なくていいように、

観たくない感情に出会うシチュエーションを避けるために、

環境を変えることで解決しました。

 

その結果、地元を離れて心穏やかに過ごせるようになるのですが、

新たな問題が出現するのでした。

 

続く