デジタル哲学で心が啓く・可能性が弾ける

どこまでもオープンな心で、平等で対等な関係性でAI時代に人間最高の機能を発揮する。

喧嘩が出来ないことの悩み。~my story⑧~

Ma-Pa代表のちぐさです。

 

本日も、訪問いただきありがとうございます。

丸裸に語るまっぱシリーズで、

前回は大っ嫌い!!!と叫びたいけど、

叫べない私のストーリーを書かせてもらいました。

8henge.hatenablog.com

 

私が感じたくない感情、

特に「大嫌い」を感じなくてよい環境へ引っ越し、

楽しく毎日を過ごしていたのですが、

喧嘩が出来ないこと悩みが生まれました。

 

喧嘩が出来ない。

20歳の時に、付き合っていた彼に

「俺はちぐさと喧嘩したいんだけど!」

って言われたことがありました。

 

私にとって、喧嘩とはイメージの良いものではなく、

自分も相手も傷つけるものだと思っていました。

喧嘩をしたいって言われても、

どう喧嘩したら良いかも分からず。

 

そもそも、喧嘩が出来ない原因は、

・相手にどう思わるか?が気になる。

・自分の本音が分からない。

この2つに集約されていました。

 

相手にどう思われるか?

相手が好きな人、大事な人であればあるほど、

その人にどう思われるか?を気にしてしまうことはありませんか?

 

例えば、

子ども頃なら、親にどう思われるか?

いい子と思われるのか。

悪い子と思われるのか。

いい子と思われれば可愛がってもらえて、愛してもらえて、必要とされる。

悪い子と思われれば愛してもらえず、迷惑な存在と思われるかもしれない。

自分の存在を認めてもらえるか、認めてもらえないか。

そんな不安はありませんでしたか?

 

私は、心の深いところに不安を鎮めていました。

 

好きな人、彼氏ができれば、

その相手にとって、

好きになってもらえる存在なのか?

相手にとって、自分を必要としてもらえるのか?

ポロっと言ってしまった一言で、

相手を怒らせてしまって仲が悪くなってしまったり、

嫌われてしまうことを恐れてしまう。

 

自分の思っている事を伝える事で、

相手を嫌な気持にさせてしまうかもしれない。

そうなれば、自分も嫌な気持になってしまう。

 

だから、相手の様子を見ながら、

自分の気持ちを伝えていました。

 

自分の本音が分からない。

相手に合わせたコミュニケーションばかり、

練習していると、

自分の本音が分からなくなってきます。

 

今、私は何を感じているのだろうか?

今、私は何を思っているのだろうか?

 

自分の心の中にある声が聞こえたとしても、

一瞬で相手の基準に合わせる変換機能が働いて、

本当に感じていたこと、思っていたことを忘れて、

相手に求められる答えを出そうとしてしまうことはありませんか?

 

相手の気持ちや、

相手との関係性を考えるあまり、

自分の心の声を出さないことが当たり前になって、

自分の本音が分からなくなっていました。

 

だから、「喧嘩したい!」って言っても、

喧嘩するイメージが持てません。

 

彼は、私と本気でぶつかり合いたかったようで、

そうする事で生まれる絆の深さを求めいる事も知っていました。

 

本気でぶつかり合えた方が、

絆が深まるかもしれない。

だけど、元には戻れなくなるかもしれない不安。

 

私にとって、せっかく仲良くなれた人、

大切な人が遠くに行ってしまうことの方が寂しいことでした。

 

だから、喧嘩をすることは私にとって大きな賭け。

 

本音でぶつかり合って、

お互いが切磋琢磨していける仲でありたいと思っているのに、

それが出来ないことのもどかしさ。

 

喧嘩が出来なくても、

幸せでいる事はできる。

 

喧嘩しない方が、幸せだ。

 

本当に、そうなのだろうか?

 

喧嘩が出来た方が、

仲が深まり、幸せになれる。

 

喧嘩した方が、幸せだ。

 

本当に、そうなのだろうか?

 

どちらの考えもあります。

自分と全く同じ考え方、価値観、判断基準の人はいません。

喧嘩をしても、しなくても、

本音で交流出来る事。

 

深い出会い、深い繋がりを創るために必要な事です。

 

当時のわたしは、

喧嘩をしたくありませんでした。

本音で話すことがどういうことかも分かりませんでした。

 

本音で話すと言事は、

自分を深く知ることにもなり、

相手を深く知ることにもなります。

 

一つ一つの言葉に、自分がどんなイメージを持っていて、

どんな感情が働いた結果の考え、言葉、行動なのか?

を理解する事は、本音で語り合うためには必要な事です。

 

まずは、自分自身にどんな観点(判断基準・価値観)があるのかを知ること。

そして、人間共通の観点(判断基準・価値観)を知ることから始めてみてください。

 

本音の交流がこんなにも、美しく、感動的で、

違う考え方の人とも融合が可能なのかを実感できると思います。

 

喧嘩が出来ないことが悩みだった私は、

自分を知り、相手を知り、

喧嘩を出会い、変化の道具として楽しめるようになりました。

 

人に合わせて、我慢して、

自分の気持ちを誤魔化して、

自分の心の声に気づけなくて、いつの間に苦しくなる。

そんなコミュケーションを卒業して、

一緒に新しいコミュニケーションの道を創る仲間を募集中です♪