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大っ嫌い!!!と叫びたい。~my story⑦~

Ma-Pa代表のちぐさです。

 

本日も、訪問いただきありがとうございます。

丸裸に語るまっぱシリーズ!

今日は、見たくない感情から逃げるように、

地元を離れたエピソードを書きたいと思います。

 

人生で一番の地獄

父が他界してから、

高校を卒業するまでの数カ月間は、

私にとっての地獄でした。

 

高校2年までは、父・母・弟の家族4人で生活していたのですが、

冷戦状態の父と母の関係性、

家の中の何とも言えない張り詰めた空気感に、

嫌気がさしていて、

窮屈観を感じていました。

 

それでも、父がいてくれることで、

わたしが安心して話せる場所がありました。

 

高校3年になると、

弟は地元から少し離れた高校へ進学したため、

寮生活を送ることに。

 

ここから、父と母と3人での生活が始まりました。

3人の生活が始まって2カ月半が過ぎたくらいの時に、

父が突然帰らぬ人となってしまったため、

母と2人の生活が始まりました。

 

この時が私にとって、とても地獄でした。

 

大っ嫌い

なぜ地獄だったかと言うと、

大嫌いな母との2人きりの生活を送らなければならなかったからです。

 

母は愛情を持って私の事を育ててくれていたので、

最初から大嫌いだったわけではありません。

 

父との冷戦状態や、

時にヒステリック気味に起こる姿。

いつも忙しい母の気持ちを読み取って動くことの難しさ。

いろんな思いを蓄積している中で、

「大嫌い!!」って思う、ショックな事件が起こりました。

 

それは、父の葬儀が終わり、

喪が明けて、初めて登校した日の事。

友人から

「ちーはお父さんっ子だったから、すごく心配だったんだー。」

って言われたことが嬉しくて、

家に帰ってから、母に報告したのです。

私は、母に「お友達はわかってくれるんだね~。」って言って欲しかった。

 

だけど、帰ってきた言葉は、

「何で!お父さんっ子なの?!あなたは、私の子でしょ!!」

って怒らたんです。

 

えー!!!!

なぜ、お父さんっ子で怒られる?!

私には理解できませんでした。

 

それに付け加えて、

母と2人でいる時は「なんでお父さんばっかり楽な思いをして!」って

口癖のように聞かされていたのです。

 

母が辛くて、大変な状況もわかるけど、

そこまで言わなくも良いのに…。

 

少なくとも私にとっては、

父も母も大切な存在であり、

どちらかを選ぶことはできませんでした。

 

だけど、私にとって大事な父のことを、

悪く言われる日々に嫌気がさし、

母のことが「大っ嫌い!!」になっていました。

 

地元を離れる事で我慢から解放。

大っ嫌いって言いたいけど、

面と向かって言ってしまったら、

母を傷つけてしまうかもしれない。

 

大っ嫌いって言いたいけど、

面と向かって言ってしまったら、

母が大激怒するかもしれない。

 

だから、私は面と向かって言えずにいました。

 

大っ嫌いな気持を隠しながら、

毎日毎日、母との2人暮らし。

 

大っ嫌い!

むかつく!

ウザい!

なんで、お母さんじゃなくてお父さんが死んだのだろう…。

 

私は、高校2年の時から、

地元を離れる事を決心していたので、

その気持ちが強くなるばかり。

 

高校3年と言えば、

進路を決めなければいけない時期です。

私は、地元を離れて、

福岡の専門学校へ行くことを決め、

三者面談も放棄しました。

 

早い段階で、福岡の専門学校への入学は確定し、

卒業までは我慢の日々。

 

大っ嫌いな母とも、

ある程度の距離があれば、

何とかなるだろうと思っていたからです。

 

私にとって「大っ嫌い」という感情は、

観たくない感情でした。

自分にとっても、相手にとっても、

心地の良いものではないと感じていたからです。

 

自分の心も傷つくし、

相手の心も傷つけてしまう。

 

マイナスな言葉は、

人にいい影響を与えないから。

 

そんな、イメージが私に沁みついていたので、

 

観たくない感情を見なくていいように、

観たくない感情に出会うシチュエーションを避けるために、

環境を変えることで解決しました。

 

その結果、地元を離れて心穏やかに過ごせるようになるのですが、

新たな問題が出現するのでした。

 

続く