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わたしが3歳の時に三輪車で家出をした理由。~my story①~

Ma-Pa代表のちぐさです。

本日も、訪問頂きありがとうございます^ ^

丸裸の出会いを広げていくために、

まずは、私から丸裸になって語らせて頂こうと思います。

 

 

わたしが生まれたのは、父と母が結婚して8年目のことでした。

 

なかなか子どもに恵まれず、

母はお姑さんから、嫌みを言われる事もあったとか。。。

お姑さん…私からしたらおばあちゃんが他界した2年後に

わたしは生まれました。

 

待ちに待ったわたしの誕生

祖母が息を引き取るまで母は看病をしていそう。

嫌みを言われることもありながらも、

実の娘よりも、頼りにされていたらしいです。

 

そんな祖母の看病が終わり、落ち着いた時に生まれたわたしは、

「祖母の生まれ変わりなんじゃないか?」と思ったそうです。

しかも、予定日より3日遅れて父と同じ誕生日に生まれました。

 

父が36歳の誕生日。

病院からの連絡で駆け付けた父へ、母は

「はい!誕生日プレゼント♪」

って、わたしを差し出したそうです。

 

父は、口数が少なく、大きなリアクションをする人ではなかったのですが

凄く大事に抱っこしてくれていたとか。

赤ちゃんの私と一緒に写っている父の写真は、どれも嬉しそうな表情。

どことなく、にやけているように見える表情。

 

待ちに待ったわたしの誕生は父にとっても母にとっても、

喜びに満ち溢れていたのだろうな…と感じます。

 

だから、たくさんの愛情を注いでもらっていただろうと思います。

父の愛も、母の愛も独り占めの長女。

一人っ子時代を謳歌してたのかなぁ~(*^^)v

 

愛されている事が窮屈

父は口数も少なく怒ることもなく、

言葉では言わないけど、愛情を注いでくれている事を感じていました。

 

母は初めての子育てで、不安も多く、戸惑う事もあったでしょう。

とにかく子どもと同じ目線に立って、

一緒に楽しもうと、楽しませてくれようとしていたみたいです。

 

大事に大事に育ててくれて、

いっぱいいっぱい愛を与えてくれて、

子供のわたしにとって、お母さんという存在は大きいものです。

 

母自身は、6人兄弟の長女。一番目の子。

年子の兄弟たちがいる事で、親へ甘える事もできず、

厳格な父(私にとっては祖父)は礼儀など、躾に厳しかったそうで、

我慢することもたくさんあったのでしょう。

私も弟も、行儀よくすること、礼儀正しくすることは、

ありがたいことに厳しく躾られました。

 

そして、母は自分が子供のころに親に甘える事が出来なかった経験から、

私と弟に同じ思いをさせたくなかったのか、

自分の手元で育てる事を選択していました。

よく聞かされていたのは、

「幼稚園や保育園に預けて先生から成長を聞くよりも、お母さんの目で成長を見たかったの。」

っていう事。

母は、自分の手で育てる事にプライドを持っていたのだと思います。

 

 

父の仕事の関係で、母が配達に出かける時も一緒についていき、

ほとんど母と一緒に居る毎日。

楽しかった思い出がいっぱいあります。

だけど、わたしにとってずーっと母と一緒にいるのは

どこか窮屈に感じていたのかもしれません。

 

愛をいっぱいもらっているのに窮屈。

愛されていることが窮屈。

 

愛をいっぱいもらえばもらうほど、

親の期待に応えなきゃいけない感じがしていて…

母の望むようないい子でいなきゃいけないような気がして…

 

母の機嫌を損ねないように…

母の顔色を伺いながら、頑張っていたので窮屈でした。

(子供にとっては、母親の存在は大きいから当たり前なの現象なのかもしれないけど) 

 

3歳の時に家出を決意

大好きな母との生活にも窮屈さを感じ始めた3歳のわたしは、

近所の保育園や幼稚園の前を通る度に、

同い年くらいの子たちが、楽しそうに遊んでいるのを見て

凄くうらやましく思っていました。

 

同年代の子と遊ぶ機会を母は作ってくれていましたが、

わたしはどうしても、幼稚園に行きたかったんです!!

 

だけど、家の経済的な理由と母の「自分の手元で育てたい」という思いが相まって、

わたしの幼稚園へ通う夢は絶たれました。

 

家にいて、母と一緒に居れるという事は

大好きなお母さんと一緒で安心できるのですが、

わたしの場合は、幼稚園に行きたい思いの方が強く、

夢を絶たれた事が絶望的にショックでした。

 

そんな絶望感をいつまでも引きずるわけにはいかないので、

わたしは思いついてしまったんです!

 

「よし!お母さんに内緒で幼稚園に行こう!!」

 

そう!3歳で家出を決意した瞬間です。

 

そして、父と母の目を盗んで家出決行!

 

わたしの愛車「真っ赤な三輪車」に跨り、

向かう先は、憧れの幼稚園♪

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憧れの場所は、夢のような時間でした。

幼稚園の先生は、どこの子供か分からないわたしに

優しく接してくれて、

園児たちと一緒に遊具で遊ばせてくれました♪

 

楽しくて、楽しくて♪

 

達成感に満たされて、

チャレンジしてみて良かったと思いました♪

 

わたしは「やればできる!」って。

 

自信感も生まれていました。

 

 

 

 

 

でも、楽しい時間も長く続くはずがなく…。 

 

母のお迎えがきてしまうのです。 

 

人生を揺るがす大きな決断

幼稚園の外に、母の顔が見えた瞬間のかすかな記憶。

 

それは、どことなく寂しく残念に感じた事。

もっと遊びたい。もっとお友達をつくりたい。

 

その思いは叶うはずもなく、

わたしのチャレンジは余韻に浸ることもなく、

終わりを迎えたのでした。

 

家に帰る時、家に帰ってから、

母に怒られたのか?

母が悲しそうな顔をしていたのか?

母に何を言われ、どんな事を思ったのか、

全く記憶にありませんが、

 

この瞬間に、わたしのこの先の人生に大きな影響を与える決断をしたことは間違いありません。

 

「幼稚園に行きたい。」

一度は諦めた夢を、

自分の力で実行してみる。

そして、一瞬の成功と挫折を味わいました。

 

大きなチャレンジをしたい!でも、私にその夢を叶えられるはずがないんだ!

 

そう。

この瞬間から、

「チャレンジ精神旺盛な私」

「チャレンジすることに諦める私」

2人の私が共存するようになったのです。

 

これは、私の無意識エンジン装着のきっかけです。

 

続く。