デジタル哲学で心が啓く・可能性が弾ける

どこまでもオープンな心で、平等で対等な関係性でAI時代に人間最高の機能を発揮する。

気づかないうちに八方美人になっていた。~my story③~

Ma-Pa代表のちぐさです。

今日も、訪問いただきありがとうございます。


丸裸の出会いを広げていくために、

まずは、私から丸裸になって語る第3弾です!!(笑)

 

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前回は、お友達が欲しくて、

「みんなとは違うわたし」が仲よくなるために

身につけた術について書かせていただきました。

わたしがみんなと仲良くなるために選んだこと。~my story②~ - ✴︎やまとなでしこ八変化✴︎


大きな夢は叶えられない。

せめて、身近な夢は叶えたい。

そのためには、人に合わせる事で叶えることができるかもしれない。


洞察力を働かせるという事。

「人に合わせる」というキーワードを

さらにバージョンUpさせる教育がありました。

 

それは、母からの「洞察力を働かせなさい」という教育です。

 

ただ、人を見て真似て合わせるだけではなく、

目の前の人がどんな思いを頂いているのか?

何を考えているのか?

何をしてほしいと思っているのか?

 

目に見える表情や言葉、行動だけで判断するのではなく、

相手の気持ちを考えなさい!と、

何度となく教育されました。

 

例えば、お友達が消しゴムを忘れて困っている。

というシチュエーションがあるとします。

この状況の時どうしますか?

 

「あ、消しゴムなくて困っているんだ。貸してあげよう!」

そう思って、消しゴムを差し出すこともあるでしょう。

 

人によっては、気づかないフリをする事もあるでしょう。

 

消しゴムを差し出す前に、「どうしたの?」と声を掛ける場合もあるでしょう。

 

 

友達を作るために、人と仲良くするために、

人に合わせてみるところから、

とにかく相手を洞察して、

今、私はどうするべきなのか?を考えるようになりました。

 

だけど、子どもだったわたしは、

お友達ができて、

嬉しくて、楽しくて、

思ったことをストレートに言ってしまう事もありました。

 

寂しい、悔しい、悲しい事件

人の気持ちを考えて、

人がしてほしいと思う事を選択し、

行動するように、

洞察力を働かせて行動することを訓練する中で、

わたしにとって、寂しくて悔しくて悲しい事件が起こりました。

 

それは、小学校2年生?くらいの時の帰り道の事。

 

わたしと同じ小学校に通う同級生で

わたしと同じエホバの証人の双子の女の子がいました。

 

その双子ちゃんと我が家に向かって一緒に帰っているときに

わたしが何気なく

「Kちゃんって、男の子っぽいよね!^^」

って言った一言がKちゃんを傷つけてしまい、

 

その事が、Kちゃんから母に伝わりました。

 

悪気のない一言によって、気づ付けてしまったこと。

 

この事は、母から厳しく怒られました。

我が家に集まったみんなは、

庭で楽しく遊んでいる中、

わたしだけ、子ども部屋に閉じ込められ、

反省させられました。

 

傷つけてしまった事に対して、

なぜ、あんな事を言ってしまったのだろうか。という後悔と申し訳なさ。

 

わたしが、なんで「男の子っぽい」と言ってしまったのか?を

言葉だけで判断されることの悔しさ。

 

お母さんを怒らせてしまった事の悲しさ。

 

そして、みんなが遊んでいるときに一緒に遊べない事の寂しさ。

母に、わたしの気持ちを理解してもらえない寂しさ。

 

母に叱られた時、

委縮して、自分が何を考え、何を思っているのか、

ありのままに伝える事ができませんでした。

 

 

そして。。。

洞察力を働かせなさい!って、

いつも口を酸っぱくして言っている母に対して、

絶望感を感じました。

 

わたしの気持ちは分かってもらえないんだ!!って。

だから、わたしはこの瞬間に母に対して、

「絶対、本音で話してやるもんか!」と決断しました。

 

 行き場のない本音。

わたしの発した言葉は、

受ける取った相手にとっては、

本当にショックで、傷つけてしまう言葉だったと思います。

でも、わたしにはその事を口にする事で

創りたかった友達との関係性がありました。

何でも言い合える関係性。

何でも許し合える関係性。

どんな事でも楽しめる関係性。

でも、子どものわたしの持つ理想は、

「こうしたい!」って思いがあったとしても

それを具現化する方法は分かりません。

 

未知の世界だらけ子どもにとって、

親からの教育はとても影響が大きいものです。

良い人間関係の作り方は、

相手を思いやる事。

自分が話すよりも、聴くことに早くある事。

いつも温和である事。

我慢強くある事。

親切である事。

そして、何より洞察力を働かせる事。

 

その結果、どうなったか?と言うと、

自分の心がどう感じてるか?

自分がどう思っているのか?と言うことよりも、

相手がどのように感じ、どのように思うのか?を軸に

考えることを習慣にしていました。

 

わたしの中にある「本音」は行き場がなく、

静かにしまい込む。

時に相手の意見と同じ時には、その本音を出す。

でも、基本は相手がどう受け取るか?で判断して話していました。

 

自分の「本音」が何かも分からず、

相手の基準に合わせるコミュニケーション、

相手の基準に合わせて行動する事で、

自然と八方美人になっていきました。

 

「八方美人」は、自分の基準を捨てて、

相手の基準に合わせて生きることのできる究極の技です。

嫌われものになる事もあります。

 

それでも、自分の本音を言って傷つけてしまうより、

相手に合わせて相手の喜ぶ事を言い、

相手の喜ぶ行動をする方が、

わたし自身も喜べるし、楽しめていました。

 

せっかく仲良くなったお友達が、

離れていってしまうのは避けたかったから。

友達がいなくなるのは嫌だったから。

 

 

母に対して、「本音を言わない決断」から

八方美人になる事で、

人に合わせている方が楽だと思い、

そして、いつの間にか八方美人である事も忘れるのでした。

 

続く。